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2007 10,01 23:30 |
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ウイニングボールがゆがんで見えた。最終18番。両手を4回突き上げると、諸見里は右手で顔を覆った。「こんなに涙が出るとは思わなかった」。約1年も忘れていた勝利の味は格別だった。 最終組で対決した不動に迫られたが、一度も首位を譲らなかった。3番でラフからの第2打を木に当てボギーとしながら、直後の4番で約7メートルを決め、すぐに取り返した。11番で1打差にされても、13番で約5メートルを沈めてパーセーブ。15番のバーディーが"決勝点"となったが、それまでの粘り強さが光った。 つらい時期を乗り越えた。3月にそれまでのマネジメント会社との契約を解消し、複数の企業とのスポンサー契約が切られ、大幅な収入減となった。同じ江連忠コーチ(39)に学ぶ同い年の上田桃子が今季3勝を挙げるのと対照的に、優勝が遠かった。 それでもめげなかった。「前は成績が悪ければ悪かった分だけ言い訳してた。もう甘えたくないと思いました」。S・K・ホや清田太一郎ら男子プロの練習方法を取り入れ、7月からはクロスハンドグリップのパットに変えるなど、「自分で考える力」がついた。39歳の誕生日に最高の"プレゼント"をもらった江連コーチも「このタイトルで勝ちたいと思ってただけに本人もうれしいだろうね」と笑顔だった。 7月から新たなマネジメント会社と契約し、3社以上の企業からスポンサー契約のオファーが舞い込むなど、人気も再び沸騰してきた。「今年の目標は年間3勝と1億円突破。今大会で自信がついたし、一試合一試合大事にやりたい」"トンネル"を抜け出た今、明るい未来が開けている。 ◆諸見里 しのぶ(もろみざと・しのぶ)1986年7月16日、沖縄・名護市生まれ。21歳。9歳からゴルフを始め、屋部中2年の日本ジュニア12~14歳の部で優勝。04年の日本女子オープン5位でローアマを獲得。日本女子アマを制した05年にプロ転向し、米女子ツアー予選会突破。06年は米ツアーに参戦し、7月から日本に復帰。昨年10月のSANKYOレディースでツアー初V。家族は父・朝明さん(65)、母・敬子さん(58)。160センチ、55キロ。 ◆諸見里が達成した記録◆(いずれも1988年ツアー制施行後) ▽史上2位のスピード公式戦V プロ転向44戦目は、平瀬真由美(89年ツアー選手権)の40戦目に続き、宮里藍(05年日本女子オープン)に並ぶ。21歳での優勝は、宮里の20歳に次ぐ若さ。 ▽史上2人目の日本4冠 00年日本ジュニア、04年日本女子オープンローアマ、05年日本女子アマに続く勝利で、日本ゴルフ協会主催主要競技の“女子4冠”。宮里藍に次ぎ史上2人目。 最終更新:10月1日8時3分
優勝が決まった瞬間にしのぶちゃんは泣いていましたね。 しかし、通常のトーナメントの3倍近い、優勝賞金2800万円は凄いなぁ。 今回はさくらプロの勇姿は殆ど観ることが出来なかったが、 PR |
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